-------- --:-- | カテゴリ:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2008-09-19 22:24 | カテゴリ:モノローグ
家族は普通を望み、常識を重んじる。
その中で自分の普通はおかしいことなのだと言い聞かせて、本当の自分の感じているすべてに蓋をする。

そしたらいつしか二人の自分がこの世に存在して、自分と自分を行ったり来たりする時間が増える。
人間一人が持つ時間は24時間。

なのに私は二人分を24時間で生きてきた。
疲れないわけがない。

だけど疲れを感じたことなどない。
それはそれとして理解、受け入れてきた。

だけど私にとってそれは確かに苛酷で生きることが本当に大変な毎日だった。
それを人はストレスと呼ぶのだということさえ、病気になって初めて知った。

ストレスが何なのかを理解できずにきたし、しんどいと感じる自分はまだまだ努力が足りないのだと
思ってきた。自分がしんどいことよりも、誰かから非常識とさげすまされる方が辛かったのだと思う。

自分が発する言葉、自分なりの考え方、自分の表現方法のどこがそんなにも違うのか、だってそうでしょ?だってそうじゃない?間違ってないじゃない?

その繰り返しだった。
だけどたくさんの人から言われ続けた、正しいからと言って正しいわけじゃないし、みんなと違っていることが変なのだと・・・・

この国は変わってる。
どう思ってきた。あたしを変わっていると言い続けた人は私にとってはかなりの変人だ。
その差はなに?

また差があっちゃいけないのか?
自分らしく生きることと、常識的に生きることとどっちがいいのか?

小学校の先生は言いました。
個性を大事にしましょう。だけど絵画の時間に真っ青の林檎を書いた私を見て、見たまんまに書きなさいとしかりつけ、みんな赤く書いているでしょ?って・・・・・

青に見えた私は見たまんまを書いた。
そして個性を大事にと言った先生の言葉通りみんなと違っていても気にもしなかった。
でも結果は・・・・精神カウンセリング的なことへ進んだ。


何が正しく、何が間違っていて、また何が幸せなのかを探し続ける人生はずっとずっと幼いころから始まっていた。そして私はいつもどの作品でも同じ言葉を繰り返した。

誰も私を見ていない。


だけど人の集まる場所で生きている私がそこにはいて。
そうじゃない。と叫び続けた。

人の心の中には愛情タンクがあるんだと思う。
愛情タンクの大きさは人それぞれ許容範囲が違うんだ。

米粒サイズで満タンになる私。
コップサイズで満タンになる誰か。
ドラム缶ほど必要なあの子。

だけど、親をはじめとする大人は自分の物差しや人の評価の中で、私は異常と言われれば、
愛情不足と勘違いをして、米粒サイズのタンクにドラム缶量の愛情という我欲を垂れ流してきた。

すでに溺れてるよ。
すでに苦しすぎるよ。

愛情は満たされるとは、注げば注ぐほどいいものじゃない。

私の愛情タンクの大きさを知ろうとしてくれた大人は本当に少なかった。
自分の持つ愛情を受け入れるキャパに私のタンクを広げろといわんばかりだった。

それがとても悲しかった。
期待に答えられないできの悪い自分と悲しんでばかりいた。
生涯劣等生だと思ってきた。

だって愛情タンクが広げられなかった痛みは今も消えないから。
それでも私は幸せを感じてきた。

こんな私を必要としてくれる人がいると思えた。
だから今を生きてこれた。

時に誰かの言葉で焦げくさい匂いにむせた。
時に誰かの行動が真っ青な空を真黒に塗りつぶした。
時に自分の目の前が突然目も開けられないほどの光に変わった。

それを当り前のように言える自分が居なくて、舞台や歌詞の世界に逃げた。
逃げ場所にした作品がいいものとは言えない。

すべての作品は自分が生きる言い訳だったのだと思っている。
だけど、その言葉があふれてくれたのはその奇妙な経験であることも確か。
だから否定もできなかった。

私はその毎日の中でSLE患者という病人になり、尚いっそう波乱万丈な人生になったように思われる。だけど、違う、この病気になった、私は前よりみんなに近くなったと思う。

それに幸せを感じている私がいるから・・・

管理者のみに表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。