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2008-06-25 01:27 | カテゴリ:モノローグ
最近うちの関係者のブログ記事で憤りを感じた。
内容は、自分の通う学校の禁煙ルールを守れないマナーのわるい喫煙者に自分はがっつり意見しました・・・・的なものだった。

マナーって何かわかってるの?って言う人がマナーを語り、さも自分はマナーを守っているアピールを書き連ねてた。

でも彼がいう、自分はマナーを守れているという自信、話にならない若者に言ってやった・・・というようなニュアンスの中に問題がある。

だって彼はマナーとルールを一緒にしてるから・・・

ルールを守ってたらマナーが良いという勘違いをしているのでは?と思った。

じゃルールはなぜできる?答えは悪い言葉でいえば「アホが多いから。わきまえのない人間が多いから」なのですよ。

ルールを守っているからマナーがいい人ではないということですよ。

マナーって思いやり、優しさからなる人間の行動・言動・でしょ?すなわち、マナーとは人間性そのものをさす形容詞ともなりうるということに気づいていない。

なので、ルールを守る守らないという話は得意げにできるが、その話題を公開することが事態が自分が世話になっている学校の内部的な汚点をさらけ出し、学校に迷惑をかけるマナー違反行為だということに気づいていない。


自分が世話になって勉強させてもらっている学校を行ってやってる、通ってやってるとでもいう意識なのだろうか?どうして謙虚さ感謝を120%全面アピールしたような言葉を使っての傲慢記事を書くのか?

彼は敬語で人を批判する。

これってどうなん?批判するならその人物に対して敬意なんてないのになぜ敬語?っていう自分自身の矛盾をまったくわかっていない。勘違い真っ只中の愚かな若者なのだと思ってしまった。

それがまして、自分の関係者だというのだから、大問題です。
でも最近思います、いくら怒り、指導したところで、相手がその場だけ反省した振りを繰り返したり、その場だけ訂正した振りをしているだけで、心の中に反抗心やプライドを持ったまま心も開かずにいる人間には指導も怒りも必要なくなってしまうのだ。

それでもあきらめちゃいけないと言い続ける使命があると責任を感じているのだが・・・・はたしてどうなることか?

そもそもこの組織の代表者である、私が傷つき怒りしている原因が自分であることに申し訳なさや傷つけたことよりも自分の腑に落ちない感情を優先させてしまえるということだのだろう。

どこまで自分さえよければいいのか?
きっと私が代表者として役不足だからああいう発言や態度ができるのだろうと申し訳なく思う。
自分の力のなさがすべてだと思う。

だけどそれでもキャッチボールする相手がグローブを閉じているのだから方法論が見つからない。
自分、自分と自己主張を繰り返し、義務を怠るという一番最低なわがまま人間になっている自分を見つめなおしてほしい。

自分は●●、などというアピールや主張、思想の発表の前に、するべきことはできているのか?と仲間を悲しませていないか?目の前の関係者を傷付けていないかをもっともっと考えるべきだ。

いつまで自分の力を過信していきるのだろうか?ひとは生きているんじゃない、周りに生かしてもらっているにすぎないのだ。

またそんな言動・発言を知りながら、注意もせず、何か感じながら見て見ぬふりをするその他のスタッフにも問いかけたい、どうして他人行儀になれるのか?彼も大事なファミリーなら厳しく愛を持って注意・指導するべきだ。それを放置するなんていうのも私は許せない。


いい加減目を覚ませ、あげはスタッフ一同。そんな人として愛を忘れた人間が作る舞台なんてカッコ悪いだけなのだ。そんな人間なら今すぐ人前で表現するなんていう大それたことはやめるべきだ

目の前のこともできない人間がそれ以上のことできるわけがないのだから。
目の前のスタッフの問題、指導もできない人間に会場の隅にいるお客様の小さな言動を拾い、受取、共に進むという公演が続けられるのだろうか?

まず、小さなことを見落とさない心を思い出せ!

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