-------- --:-- | カテゴリ:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2012-09-14 02:31 | カテゴリ:モノローグ
私は生きている時間色んなシーンで色んな瞬間に「なんで?」とか「なぜだったんか?」


と思い悩んでいる


相手のとった行動の意味、発言からの教え、自分にやってきた沢山の事柄すべてが
何らかの教えだと考えている傾向にもある



私にとって何故なのか?と考えることは、その向こうにある大いなる教えへの道しるべなのだ




それが良いとは思わないし、しいて言えば私はあえてそうしているわけではなく
自然にそうなってしまうのだけど、説明するならば上記のような言葉になるわけです



しかし、最近身の回りに起こる様々な出来事を客観視したり考えていると
「浅はか」という言葉があちこちに点在しているような光景が視界を埋め尽くす




何故の向こう側にある大切な教えとは、ちょっと掘り下げてわかるようなものではない
深く熟考をしたのちに見えてくることがほとんどではないか?と思う


しかしながら、この深さと言うのも難しくて、見当違いのまま掘り下げたところで
その教えに到達することもなく、一瞬深さを帯びたように感じても実は
ただただ浅いほうへとつながっているだけなので大変だ



深さとは大変シンプルなものであるともいえる



がむしゃらに掘り下げて到達できるのではなく、
自分が想うよりかなり細くまっすぐな一本道の奥底にだけ存在しているのが、その教えなのだ



しかし人はがむしゃらに大きな穴を掘ってみたり、曲がりくねって深く掘っている錯覚に陥ったり
面倒な生き物であるのも事実




たとえ方がわかりにくいかもしれないけれど・・・

深い底にある教えへの道のりとした
真っ直ぐな道とは、すなわち素直な心 細い道 すなわち 一本気な心
曲がりくねっていない道 すなわち 屈折のない純粋な心を意味している


人は自分が努力しているようにふるまいがちなもので、深く考えているふりをするために
バタバタと大きな道を掘り出したりして、疲労したように装う


しかし、答えに到達するためには、そんな余計なことこそが邪魔そのもので
純粋に素直にただ考えを進ませばかなり手の届く範囲のところにあることが多い




要するに人間に必要な教えたるものは、実際には小学校に入る前まで程度のことしか存在していないのだ
それなのに、知恵を得て知識を得た人間はこねくり回したり、思考できる自分に酔ったりして本当に必要なものを置いてきぼりにしてしまうらしい




今日の議題は何故の向こう側


少しでも何かを感じてくれた人は、日々の生活で何故?と感じる時間を大切にしてください
そして、なぜの向こうの教えをできる限り自分の胸で感じてください


そうすれば、間違いなく、この世のすべてが教えであり、感謝しか出来ない日々が近づきます
すべての事柄は、自らの落し物や過ちで難しくなっているだけで、生きていることはとてもシンプルなことなのです。なぜなら、今自分が生きている時間に感謝するだけで、必要な教えは自ずと自分に向かってやってきてくれるからです。



何故の向こう側の答えは、いつもあなたに何かを教えていると悟っていただければ幸いです








管理者のみに表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。