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2012-03-19 07:37 | カテゴリ:モノローグ
思い込みが激しく、いかにもまともで、正当性のある意見をかざし、自分が見えなくなり、最終的に勘違いしていることにさえ気づけなくなる


これが私の知る人間の成長過程の典型的な図式


子供を持つ親になれば、なったで親になった勝手な大人感をもってしまい、子供にとってどういう親であるべきかなどというどうでもいいような見栄を探し始める

だいたい考えてみればわかる、子供の存在によって親にしてもらえただけなのに、
大人になれている親がどれほどいるのかはなはだ疑問ばかりだ


身体が成長し、結婚し、または子を持ちなどの過程で、勝手に大人になれているという錯覚を覚えるからだろうと推測はできるが、目に余ることがよくよくある



たいてい、そのようなご家庭で育ったお子さんの典型的な振る舞いが、親の期待に応えようとしたり、親の喜ぶことを探すような顔色を探った行動を繰り返し、プレッシャーに打ち勝つ精神努力を放置したまま時が過ぎ、親の前と別の場所で違う性格を共存させるようになるらしい



世の中一番厄介なのが、二面性を持つ子供であり、そのような子供を目の前にしても、うちの子に限って精神から抜け出せない、事実を受け入れられない弱い親なのだ



私は幸い生んだだけの親と罵声を浴びせられるほど、育児・家事を放棄したと言われている人間なので、偉そうに言えることなどなにもないのだが・・・


ここが問題で、社会的に育児・家事を放棄したということでよく色んな意見を耳にする機会が多いが

私は育児・家事を放棄したのではなく、親が自ら我が子を育ててろくなことがない!と思う持論から、子供と距離を置き、成長過程の中で互いに人間同士としてぶつかり合い、経済的な面の生活や同じ人として少し先に生きた人間としての意見で向き合うという方法論をとったまでなのだが・・

これが世にいう変人であり、最低な母親になってしまう
なぜなら、一般的ではないから


私は今の自分に親としてできる最高の環境を常に心がけたつもりだ
親族や血族以外の人間が涙を流し、時に拳を振り上げ、叱咤激励してくれる環境などこの世知辛い世の中では珍しいと思う、しかし、それが本質なのだと考え、自らそうしてきた


別に今ここで自分のとった行動に対しての肯定ををしたいわけでも、賛同を得たいわけでもない


最近の子供たちと接せる機会も多く、また、子供社会の中に少しだけ関われる人間として想うことは多々とある



親の前とそれ以外がかなり違う家庭がどれほど多いのか、子を持つ保護者の方には今一度再確認してもらいたい


そして子供という生き物は大人以上に知恵があることも忘れないでほしい


子供を管理し、常にコミュニケーションをとっているのでうちは安心なんてことは無いと思ってほしい
そしてそれは子供を信用していないことでもない


子供を信用しているかどうかの問題以前の話なのだ
親と呼ばれる人間が、自分自身を心の底から信頼できているかを、自分自身で振り返ってほしいということなのだ



自分が自分を徹底的に信じれない、自分で自分のくさいものにふたをしてやしないか、社会的体裁や人からの評価を必要以上に気に留めていないか・・・を自問自答してほしいということなのだ



親になってから自分を見つめることから遠ざかってやしない?


自分で自分を見つめ裸になれない大人に、親と呼ばれる資格はあるのか
(むろん法的には親子という形式はなりたつのだが、今私が問うているのは、法的な話ではなく、精神的なこと)

一人の人間として、人様、お天道様に顔向けできるような善行を本当に言動に移せているか
人を貶めたり、誰かの陰口をたたいている大人になってはいないか



親のプライドだけで、子供や家族全員を苦しめている、器量のない母親ではないか?
親のエゴだけで、子供や家族、そして自分自身さえも傷つけている度量のない父親ではないか?



私自身ももちろん、一人の子をもつ親として日々自問自答を繰り返そうと思う
そして、他人を預かり、共に成長している年齢差の無い仲間を持つ立場人間としても願う


今この社会に生きるすべての大人に問いかけたい
自分を振り返り、自分を見つめなおし、日々心を掃除している大人であるかどうか
自信を持って確信を持てないのなら



面倒臭がらず、怯えず、そして目をそむけず、今一度自分自身を見つめる機会を持ってほしい


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