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2012-02-29 02:48 | カテゴリ:モノローグ
教えられたことをやっているだけで道が開けると思うのは甘えの証


私はそう考えて生きてきた


教えはあくまでひとつのヒントであり、その教えと同じ答えを自分自身が体験し見出すかどうかは別の話


なので思う、自分を持たなあかんと・・・


自分の想う自分の答えを明確に持ちどのような状況にあろうともその自分は決して揺れてはならないと



自分を持たない人は何か事がおこれば、自分以外へと責任を押し付けようとする
誰かのせいとか、世の中のせいとか、環境のせいとか・・・
自分を持たないから自分がどのような間違いをし自分がどれほど愚かなにかも見いだせないからだろう



そして自分を持たない人ほど自我が強い
自分がないかた自我に執着してしまうようだ



謙虚な人はいやほど自分を知っている、謙虚そうな人ほど自分と向き合うことを避ける
そう、大切なことは、自分を持つこと、自分の歩いてきた人生という道で体感した自らの経験で作られた自分をしること。そしてその自分が描いてきた理想と違っていたとしてもすべてを受け入れることだろう



他者の体験や古人の教えとは、道しるべになることもあるけれど、それに頼っても縋ってもいけない
古人の教えがあるように、私たちも次世代へ伝えるべき何かを残すために、自分を見出さなければならない



大人になれない大人が多い社会、側ばかりが育成され中身が育ちにくい現代人
そんな現代人である自分を私自身も再度見つめなおしたいと思っている



今を生きる私たち現代人もいずれは誰かの古人となる
その巡りくる生きているものの使命を果たさなければならない



私たちが今生きているのは、後世へ伝える今を深く見つめ深く抱くこと
向き合えない大人にならないように



もう少しだけ生きなければならない最近思う
天命が今日なら、それもすべて受け入れようと思う


だけど、心臓がとまり呼吸がとまり、天からの迎えが来るその瞬間まで
私は生きていることへの感謝のために自分を持ち、自分の生きたすべてを残したいと願う



生きるとは、多分、そういうことなんだろうと思う
死と生の間のほんの一瞬の景色を自分自身がしかと見届けられるかどうかではないかと
最近思えてきた



自分を持つことは、多分今を懸命に生きることでしか成しえないこと



自分を持たず、何かのせいにしながら生きているのことは向き合うべき事実から逃げ
ただ時間を過ごしているに過ぎないのではないかと



正解が何かなんてわからないけれど、私はただ自分を信じて命ある限り己に恥じない道を歩くだけだろう



出来るのなら単独での歩みではなく、一人また一人と共に歩く仲間が増えていけばありがたいと思う
己に恥じない道を歩くために、自分を持ち続ける愛を忘れないでいようと誓う

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