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2011-08-07 16:04 | カテゴリ:モノローグ
人それぞれの理解があり、人それぞれの認識がある



人それぞれは素晴らしいことで、尊いものだと思ってはいる



ただ、人それぞれを素晴らしいと思い続けるためには、人として・・・といわれる部分は誰しも似たような認識であれば素敵だろうとも思う



昨日の記事でいうと


私は言葉について、少々自分なりの見解を発してみた


そこでたったひとつの言葉ということだけでもその認識度が違うことを知った


私は言葉=心であると思っている人間


私以外の方には、言葉=口先だけという認識の方もいるし、言葉=知識という方もいる様子


言葉っていったいなんなんだ?


ってことになってくる


正しい答えが何かを私が言えることなどないとして・・・・


私は言葉は心であるべきだと信じている生き物だということ


知識がなくても、単語を知らなくても、伝えようとする行動の一つに相手を想いながら発する言葉があるべきだと思える一人です


自分の顔に口があって、自分の声を持つ人間は、どうしてもそこから発するものは自然に自分のものだと理解しがちだと思うけれど・・・私はどうもそこの違和感や疑問を持つらしい



なぜなら、人間は自らが希望をして生まれたのかどうか、自分で望んで両親のもとにうまれたどうかは定かではないからだ。


両親が存在してその結果自分は生まれた



すなわち、与えられた命、与えられた身体だと思えて仕方ない


だからこそ、与えられた身体はきっと自分だけのものではないと思える


自分だけの身体や自分だけの命でない場合は、多分この体や命から発せられるものは、自分だけのものではないと考えることもできる


声や脳や口や指を使って言葉を発することが可能ということは、それだけの自分がすでに存在している



だからこそ、発せられてものは少しでも、相手のことを想う心がそこにあるべきだろうと思えている


何が正しいかどうかではなく、ただ個人的見解としてそう思うことがあるというだけ


認識の違いがあったとして、人としての部分は似通っていれば素敵だろう


たった一つの単語を理解するうえでも、その方は何を意味して使っているのか?を考えながら聞いてみたり、話ながら、この単語で伝わるだろうか?という心を配ってみたり・・・行動、言動の中に少しずつでも相手の心を感じながら前に進めれば、温度のあるコミュニケーションが生まれる可能性もありますから・・・

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