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2011-04-08 04:08 | カテゴリ:モノローグ
私はとかく頭がくるくる回転する



考えないと死ぬんじゃないかってほど考えているらしい



それも考えている意識もなく脳味噌がどちらかといえば自然発生的に思考するらしい


そしていろんなものが溢れてきて、いろんなものが湧きだして、さぁ!行動だ!

って思っていざ出陣するわけです



そして、大きな壁にぶち当たる


あげは美樹昔からの先人たちのお言葉をまっすぐにとらえすぎてきたようです


当たって砕けろ!


そうなんです、当たって砕けてしまうのです


血液が一般人の8倍ほど少ない故、すぐにひっくり返ります


だけど脳ミソは一般人の8倍ほど稼働するので動きたくて仕方ありません


そして自分で自分にイライラします


頑張れ体!と鞭を打ちたくなります


こんなにも元気なのに、病体なのか、体力がついてきません


なのでフリーランスの職業を選んできたようです


なぜなら、通常の方と同じように同じだけ時間をかけても意味がないからです


人間とは良く出来た生き物です


一つの人間でトータルバランスは成り立つように出来ていて


体力の無い人間はそれを補うだけの別の能力を与えられるようです


また逆に体力がある人は違う能力が低下することもあるようです



とちらが良いってわけじゃないけど、とにかく、頭と体のアンバランスに苦しみます


きっとこれが私が難病を発症した理由なのでしょう


アンバランスほどの安定感はないと思いますし、逆を言えば安定など存在しないわけで



それはそれでアリなんですけど、自分の中のギャップにとにかく苦しみます


器用なのもいいけれど、器用さが自分を苦しめるわけで


なんでも出来るから、なんでも出来ない自分を生みます


悲しい現実であり、苦しい事実です



そしてその思考回路が深みにはまったとき、自分の存在価値を見失いそうになります


だからヒトに存在を無視されたら、必要以上に反応します


無視されるなら、殴られているほうがマシだとさえ思ってしまいます


それほどまでに存在を無視されることを嫌がります


話を聞いてくれないととてもとても辛くなります


会話の相手をしてくれないと悲しみます


一緒にと言いながら存在を無視されるのは納得できません


ほんの一瞬だったとしても納得できません


それほどまでに傷つきます


一生懸命やってきたすべてが否定されたような気になります



心の身体のアンバランスならまだ何とか出来るのですが・・・

頭と体のアンバランスはとても振り幅が広く大変です


人間は三位一体ではなく四位一体なので時に魂とのバランスを見失いそうになります


頭と体は魂へ繋がる道しるべになるので、このギャップが広がると魂だけが先走ります


そろそろ意味がわからなくなってきた頃でしょうか・・・



独り言だと思ってくだされば・・・・



とにかく、この通過点には、山ほど許しがたい難題が山積みなのです



ほんだら、やめたらええやん


そこまで言うならやめたらええやん



簡単にいう人居ます

安易に自分が何かを言われたくないというだけで簡単に最終的な発言に至る人居ます


ちょっと考えたらわかると思いますけどね・・・


どうでもよかったら言わへんってことを、その優しさに気づけないんでしょう


そこまで言うでも乗り越えるべき山はある



だからこその発言を文句とだけとらえる人居ます


どうでもよくないから会話する



どうでもよいなら、言われる前に何もしません



それだけ考えてもわかると思うんですけどね・・・逃げの常套手段なのか?



なんかあったら、話にならへん


って言う人居ます


よう話せんだけやのに、あたかも相手が話にならないとでも言いたげに言う人居ます


話にならへんのじゃない、話をようせんわけですよ


土俵に上がる前に、相撲にならへんとか言うてる力士と同じ感じかしら?



何にせよ、物事に背を向けるのは、あかんと思います


ずるさの塊に心を汚されていることに気づいてほしいと願います



毎日生きていると、こうした嫌なことも起こります


こうした嫌な言葉も耳にします



不透明なことを透明に見せようとすることにも遭遇します



生きていることは苦しむことというのはどうやら本当みたいです



苦しみから学ぶべきだと天は命を与えるようです


快楽は一瞬、苦しみは一生



それが生きていることなのだと・・・・・・・



そして快楽も苦しみも実はすべて命あるものだけが感じるという同一のものであることも後に気づきます


生きているから感じることはすべてはプラスに変えなければ、生きている価値もなくなります



いろんな出来ごとを受け止める器は苦しみが多い人に与えられるようです


器の大きさが昔と対して変わらない人はどうやら苦労が足りないようです



そして、いつか気づくのです、天はすべてを見ていたということを



苦労と楽しみに感じれる心はやり尽くした後に与えられる器が見せてくれる喜びです




器にはいつも清らかな水をためておくべきなのです、そこに映るモノが綺麗に見えるように




心の器は鏡となり天に映し出されます



だからこそ、人はだませても天は自分はだませないのです



生きている年数分毎年の終わりにその年よりも大きな器を与えられた人は年の数だけ大きな器を持つのです



何年たっても大きな器を与えられない人間は自分さえ半分しか映らない鏡を持つのです



器は鏡となるためのもので、清らかな水がなく乾いた器はすぐに割れてしまいます


せっかくの大きな器も自分の心で浄水した水を張らなければ、割れて小さな器に舞い戻るのです


それが、生きているということです


甘んじることは天が許さないからです


人間とはとても大変な生き物です、とても忙しい生き物です



私の体が弱いのは自分の器におぼれたからでしょう



水を張る丁度いい加減を見失い、やりすぎたからでしょう


器から溢れだした水に足をすくわれた自業自得なのでしょう



何事もやりすぎはダメだと教えられた気がします



とにかく、私は頭と体のバランスを整えたくて、意味もなく文章と言葉を並べています


書くことが私にとっては何よりの安定剤になってくれるので、とにかく湧きあがるまま考える暇もない速度で書き連ねています


たまには読者を意識せずに書きたいだけ書いてもいいかと・・・・勝手に決め付けて書き始めました




少しずつ穏やかになり始めました



私は言葉の世界の中でなら、うまく呼吸が出来るようです


声にならない想いを言葉で書き続けるだけで、深い呼吸が出来るようです


そして今、穏やかになり始めて、心に浮かぶ言葉は ありがとうです



何がありがとうかと言うと、わかりませんが・・・・・


こんな私でも必要としてくれる人がいることがありがたかったり


そしていつも許してくれることにありがとうなんだと思います


昔を思い出しました



あやまるな


そう言われてから、ありがとうを覚えた気がします



だから初心に戻り、今日の締めくくりは ありがとうです



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