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2010-06-05 23:43 | カテゴリ:モノローグ
私は何がしたいのか、よくよく考えたことなんてない。



自分がしたいことよりもしなければならないことが多く生きてきた。



したいことが何なのか未だにはっきりわからない。



それなのに私はとても恵まれた環境に生きていて、したいことが出来てうらやましいとよく言われる。


その言葉を聞いて少々安心して、あたしってしたいこと出来てるのね?なんて実感めいた気になってたり。


この前とある人物と電話で話したら、「今までしたいように生きてきてるのに、今更何を悩んでるの?」


だって・・・・・



いやいやいや、今までは目の前のことをこなすのに必死でさ、それでいいのか?なんてことはいつも事後確認。


そんな自分はダメなんだ、そう思って、最近は事前に悩もうとするのですよ。



だけど、したいように生きるってどんな風に????


自分がしたいことが心底明確なヒトが私は大好きです。


たとえばフルケンとかね。


これさえされば何もいらないって・・・・人間なかなか言えないよ。


だから私は非常識で社会不適合であってもフルケンが大好きなんだよな。


かっこええやん。俺は音楽以外最悪っていうその自覚が。


私もそんな風にこれさえあれば・・・・ってのを見つけたいよ。



結構これさえあれば発言する人多いけどね・・・・口だけな人も多いんだよね。


そう思い込みたいだけってヒト。



私には言葉があるから。どんなことしてでも生きていけるっていつも思ってるけど。


誰かと会話し、何かを書き、誰かを理解し、っていうコミュニケーションの第一歩となる言葉が湧くので
なんとかなるだろうってことはいつも実感としてある。



だけどそれは別にしたいことじゃなくて、たまたま持ち合わせて生まれた、というか言葉を持つ父親からの環境影響であって、才能ってわけでもない。



その上、安定した安穏とした日々には恐怖心さえ抱いているって感じだしね。


かっこええ大人になれよ!って言われて育った私ですが、これがなかなかうまくは行かない。


かっこええ大人って永遠の課題だね。


ある意味やくざ的ですものね。何かを極めたり、格好良く生きることに執着し続けるなんて。


歌も大好き、それ以上に歌を書くことが大好き。


音を歌うのではなく、言葉を歌で表現することが好きなのですね。



言葉を歌うことは言葉を自分の心に一度自然感覚になるまで受け入れ理解する必要がある。
だから自分の歌は自分の自然生活から生まれるので歌うことに苦はないわけで・・・


ヒトの歌を歌うことってものすごいストレスなんですよね、責任を感じるっていうか、そのヒトから生まれた
言葉はヒトのお子様を預かってるような責任感を感じます。


だけど好きなこととしたいことって多分違うような気がするんだよね。
欲張りなのかしら?


ま、いずれにせよ平和ボケってやつだろうね。
多分私のしたいことは、したいことを持ってる人と共に生きることだと薄々気づいている。


元々表に出るのは案外苦手なヒトでしたから。
だからとて存在の派手さでどうも裏方の世界にも超不向き・・・・あたしって面倒クサイ生き物。


見た目と中身のギャップに今も自分が一番苦しんでるよ。

ま、だからこそ言葉が生まれ、葛藤が渦巻き、そして叫びにも似た感情が声になるんだろうね。


自分がしたいことが見つからないことはまだいいとして、とにかくそんな毎日で自分自身を見失わないように
しないとね・・・自分が居ない空っぽのBODYCASEはなんだかちょっと寂しすぎます。


自分ってのはね・・・多分「心」って読む気がするんですよ。
心を見失ってまで生きている意味があるのだろうか?そう思い続けて早この歳まで来てしまいました。


自分は心であれますように、どうかこの先も自分が我欲になりませんように。


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