-------- --:-- | カテゴリ:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2006-10-22 15:59 | カテゴリ:モノローグ
私が居なくなったり、私が登場したり、違う容姿の私という二人が日々交差する時間が多くなってきた・・・・

汚い自分、それはまるで腐食した肉体を維持するために行き続けているおぞましい姿をした私がいる。欲に毒された自分自身を見て、手足が震えだすほどの恐怖を覚える・・・・

キレイなものを描きたい自分、それはまるでこの世にないほどの輝かしい映像が脳裏に映し出されていく。言葉に変換するとき、絵に変換するとき、音楽に変換するとき、光に変換するとき、手法は様々だけれど、感覚のギリギリまで引き出されてゆく面白い絵面。具現化する苦しみ、そして完成する感動・・・・


手洗いのソープが激減してゆく毎日・・・一日何度も手を洗い続けてしまう・・・気持ち悪い・・・汚い・・・汚れる・・・
私に触れる誰かは、私と過ごす誰かは、私によって汚されてゆくかもしれないという罪悪感と恐怖。

近寄らないでほしいと願う叫び。触らないで欲しいと願う愛。
私はいつからか汚れてしまったから・・・洗わなきゃ・・・拭き取らないといけない・・・そう感じたら心行くまで・・・洗い続けてしまう。

異常な行動?そうでもないはず。だって社会適応しなきゃいけないって頭でわかってるから、汚いままだといけないんだもの。

私は汚れてしまっている・・・汚い自分がはっきりとした絵で心の目に映し出されている・・・私は誰かの、何かの命を殺してまでも自分が生き延びようとする汚らわしいあさましい人間。生きようとする欲で何かを殺傷してゆく罪びと。

お金を生み、誰かを救っているという錯覚をした恐ろしいマシーン。
私の書き出す作品さえ、何かを殺傷しているのかもしれない・・・・

二人の自分の答えがどんどん距離をはなしてゆく・・・
生きている喜びと死ぬヨロコビ。どちらも正しい答えだと感じている。





スポンサーサイト
2006-10-21 11:48 | カテゴリ:モノローグ
私には心の目がある。
pop-up-2a_09.jpg


視力といわれる私のハードに備わっている目にはたいてい違うものが見えているらしく、私の見ているものはどうやら他の人とはものすごく違うらしいことが最近わかってきた・・・・
pop-up-2a_11.jpg

そして私の心の目は真実や隠したいと思う部分しか映し出されないので汚い映像がコマ送りのように順番に見えてくる。

どれだけ美しく着飾っている女性もその心の視力と、目の視力に大きなギャップがあるとき、吐きそうになる・・・・・
pop-up-1d_05.jpg


そのあたりも自分自身でわからなくことが多い要因みたい・・・・
心の視力が年々強くなり、感覚的視力が増強されてゆくと、現実視力が低下する、そしてその現実視力で見たものが記録されなくなる・・・

そしたら、変わった人・・・とか見方が違うから・・・って言われる。
でも気づいて欲しい、その感覚がない人とある人の違いだけで別に私はおかしい人種じゃないと思う・・・ない自分を責めるのではなく、ある私を変人扱いしている人たちはいかなるものだろう・・・・

それを私が攻めれるわけもなく・・・・わからない人に説明してもよけいにおかしいね?、変わってるね?・・・・時には恐ろしいことに、その人たちは私を思い込みの激しい嘘つきだとも言い出す・・・・

信じないと数年後自分が困るよ?っていったらもう、気持ち悪い嘘つくな・・・・ですから・・・

はっきり申し上げます。私は嘘は付きません。
心の視覚で捉えているすべてを言葉に変換しているだけ・・・・
その事実をどのように説明したらいいのか・・・・心の視力を持たないみんなに伝わる言葉?か手法を見つけ出すのに、また時間がかかりそうだ。心の視力をもっていることもその、第七感保持者の所以かもしれません・・・・・


2006-10-20 01:49 | カテゴリ:モノローグ
私はオーストラリア最南端の島、タスマニアで育ちました。
Overland51.jpg

自然豊かな広大な島で多感な時期を過ごしています。
149809140_4bec490f91_o.jpg


今まで公の公表したことはないけれど・・・最近事務所で昔話をしていたときにアルバムを引っかきまわしていて・・・そっか?って気づきました・・・・未だかつてその話しをブログでしたことはなかったかも・・・・ってね。

私は国立タスマニア大学で芸術学部に在籍しパフォーミングアーツ(舞台芸術)の身体表現を先行している大学生でした。↓校内の学生生協と図書館です。PCなどもここで自由に使えました。

uni_lau_lbry01.jpg


uni_lau_shop01.jpg

懐かしい学び舎はとても美しい施設ばかり、はじめの1年は校内の学寮に住み、(レプリーナと呼ばれるユニット式の学生寮です。校内まで徒歩3分くらいだったかな?????)
uni_lau_dorm02.jpg


あとは校外のアパートに友人たちとシェアハウスをしていました。(共同生活)

↓これは大学の敷地全部です。広いでしょ?
unilau02.jpg

この寮は友人が住んでいた全食事つきの学生寮。
uni_lau_dorm03.jpg



この大自然の中で空気を感じながら表現する人間らしさを体で覚えたあげはです。毎日裸足で通学してたのもわかるでしょ?きれいな街です。
私が居たのはタスマニア島内の2つの都市の小さいほうの街ローンセストン市という街。もうひとつが大きな町ホバート。バスで二時間半ほどの距離ですがホバートはヨットハーバーがきれいなにぎやか港町。ローンセストンは世界一の渓谷に囲まれた閑静な街。

どちらも世界遺産級の大自然が徒歩15分圏内にあるような自然と人間が完全融合したあるいみ不思議な生活スタイル。私が居た頃には街中でオーロラが見えたこともある空気がきれいなところ。

水道代はただ。雨水がそのまま飲めてしまうからなんです。
私も何度か野生のカモノハシやウォンバットに遭遇。ドアを開けているとワラビーが入ってくるほどすれてない動物がたくさん。

その当時唯一の日本人だったので、珍しがられました。未だに英語は書くのも読むのも苦手。勉強は出来ませんが、会話は問題ないですね。
その代わり体で覚えた言語は口が悪い(笑)ネイティヴ用語だらけで教科書に載ってない単語の宝庫ですから・・・・・たいてい英語はなすと日本人とは思われません・・・・あまりにも英語なまりなので・・・・


また色んなタスマニアの写真載せていきます。キレイな街がいつまでも汚されませんように・・・・・


2006-10-19 10:48 | カテゴリ:モノローグ
貯金・・・・このものすごい矛盾というか、なぞにいつも答えが出ない。貯金って・・・自分を守るため、かつ賢く生きるための金戦術というイメージがある。私はしたことがないのでわからないけど・・・・
なんとなく・・・

でも、この国は資本主義国家で、お金使わなきゃ経済回らなくて国家崩壊の危機になるんじゃないの????って思う。

お金はためるためじゃなくて使うためにある。

このあげはの考えは間違っているのか????貯金・・・なぞだ?。
ものすごい自己中心的行動に思えて仕方がない。
愛国心とか社会的な教えににまっすぐに生きてきただけに、いまさら経済の話しをされてもものすごく混乱する。

小学生の頃、私は確かにこの国で「みんなで協力して生きましょう!」みたいな教育を受けた。そのまんま守って生きたきた。そしたら、社会人になって社会不適合人物とかいわれる・・・・

免許を取るための自動車学校で先生に教育されたのは法廷速度で走りなさい・・・だったけど、法廷速度で走るとものすごいクラクション鳴らされるし、みんなにもっと早く走れって言われるし・・・・なぞ・・・

知識がないから教育というシステムを借りて私たちは色んなことを学ぶ。でも学んだことが社会で通用しない・・・・なぞすぎる。
私は何を信じていきていくことが、みんなのためなんだろうか。
平和で幸せな社会になるのか?

貯金ってこう考えると、したらあかんやん?って思うからしたことない。でもしなきゃ「アホ?」って聞かれる。

口癖のように今日は蒲生近郊に貢献にいくぞ?って近所の飲食店に行くあげは。そうそうお金おとさなきゃね?って・・・・
でも気づいたら、そんなことせずに節約して家で食事しなきゃバカを見るぞって言われる・・・・・

そんなこといって貯金したら本当に大阪経済崩壊しちゃうよ。

この手の話しをすると、「左よってる?」って言われるけど・・・・
そうじゃない。あげはが純粋な資本主義考えですよ。
経済まわすってことの本質考えたら、貯金とかって間違った資本主義の考えだと思う。自分のことしか考えない、資本主義に見せかけたものすごい社会主義行動だと思う。

そうだ、今のこの国は、この社会は資本主義に見せかけた社会主義者の宝庫なんだよ。だって、自己中心的に生きてるもの。

銀行ってなんなんだ???貯蓄の進めみたいな冊子送ってくるけど・・・一番不信なのがこの銀行だよ。
銀行の意味わからん行動のせいで・・・経済おかしなって、一般市民も錯覚してこぞって貯金とかしだすから・・・中途半端になったんや。

お金って使うためにあると大声で叫びたい。





2006-10-19 10:08 | カテゴリ:モノローグ
あげはの対外的イメージ

姉御肌。酒強そう。音楽はジャズとかブルース派っぽい。

おまけに声はハスキー(認めたくないが・・・)、口悪い。

気強い。喧嘩っ早い。


あげはをよく知るスタッフのイメージ

子供と同じ。天然ボケ。箱入り育ちお嬢様。世間ずれ。無知。多重人格。バカと天才の紙一重。自分のこと自分でできない。取り扱い厳重注意人物。謎だらけ。病的寂しがり。叫んでる人。



で・・・・・なわけです。
音楽って視点でものを考えたとき、自分の中から生まれる好きなメロディーをかんでることが?らしさであり、最大の音楽だとよく考えられる。要するに自己満足の限界に挑戦する感じかな・・・・あげはのいうシャブ中(音楽中毒者)

でも表現を糧に生きるエンタテナー要素を含む舞台人あげはは・・・・
自己満足ではなく観客満足を常意識する。何を求めているのか・・・・
すなわち発信者の本質とは、限りなく最大の受信者であるべきだと思うから、オーディエンスと同じ空気を感じて進行を運びたいと思う。
それがホスピタリティであり、ファンサービスであり、それを生業に生きることを許してもらっている社会への感謝でありたい


私は音楽をつくることも自分の表現作品のひとつに、しはじめた。
そこでぶつかり合うのは・・・・私のファンや対外的イメージの求める歌はブルージーな大人の薫漂う渋い楽曲。ハスキーボイスを生かした楽曲。よく?歌って・・・・って言われるとたいてい、この系統・・・

だけど、私根本的に不良じゃないので・・・(笑)まじめにクラシカルに生きてきた半生をもつがゆえ、生み出される曲は癒しサウンドであり、お嬢様テイストのメロディーであり、ガキくさい・・・・・・・
時には、恥ずかしくて出せないほど「みんなの歌」テイストのメロディーをこのがらがら声で歌いたくなる・・・・

サウンドプロデューサーは常に頭を抱えている・・・・ブルーノートの入った楽曲歌えばいいのに?・・・・って・・・・
でもブルーノートの楽曲は私の音の辞書にはないのだ・・・・ブルージーな曲は正直歌うのは楽だし表現もしやすい・・・ただ自分の中の音階にないわけで・・・


このとき、私は自分の曲を生み出すことを非常にやめたくなる・・・・
なぜなら、音楽にうそはつけない ので・・・私が書く曲は絶対この声やキャラクターからはかけ離れているように感じられ、

勘違いしてるがんばってる妙なおばチャんになってしまうらしい・・・

悲しい・・・対外的イメージのために生きるのが私の仕事ならば・・・
やっぱり作品や曲もそうあるべきなのか・・・
音楽本質のまんま自分の好きなメロディーを自分らしく表現しているだけでいいのか・・・・悩む・・・・



答えはでない・・

私の引き出しは本当に広い・・・ひとところにまとまるわけもなく・・
あげはらしさ=毎回違う・・・・になってしまう。これじゃ?広すぎてブランディングは非常に難しい・・・要するに商品価値は出しにくい。
そうなると自己満足表現になるのでわざわざ発表しなくてもいい気がしてくるのです。



いつかこのクラシカルみんなの歌メロディーをハスキーボイスで歌える違和感のないメロディーが出来上がるのだろうか・・・・


は?・・・どうなることやら・・・・
現在「ありがとう?心をこめて花束を」の楽曲制作中・・・・
どうまとめてゆくか・・・・悩む



悩むというより・・・・継続させるだけで・・・・必死。


あげは・・・・このままどうなる?

答えは二つに一つ。

感覚に頼り、湧き上がる瞬間を待つ・・・か

無理やり感覚に入り込み引き出すか・・・

どっちがただしいのか、どっちを望まれているのか・・・

わからなくなる・・・・・・






上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。